例大祭やぶさめ祭り


民俗考察・流鏑馬祭神事についてはこちらをご覧下さい。

  九月十九日に斎行されるこの祭りは嘗(かつ)ては富士山二合目鎮座の小室浅間神社の近く馬留ヶ馬場で行われており、勝山村(現冨士河口湖町勝山)と共同で奉仕していたが、その都度村間の争いが激しく度重なる流血騒ぎに迄発展することから、享禄三年(皇紀二一九〇年・西暦一五三〇年)武田家家臣板垣信賢の達により各自の村で行われるようになった。
 その後再三に渡り馬場の変遷があったが、現在の馬場は明治初年からと伝えられる。以来現在に至るも、古の時代そのままに、朝夕役馬、山王祭の騎者等の古式が伝わっている。
 尚、勝山村のやぶさめ祭は誠に残念ながら明治三〇年に途絶え、昭和五十五年に復興するも武士の流鏑馬に変わり往古の歴史をそこに見ることは出来なくなっております。
 
 この流鏑馬祭りは市無形民俗文化財に指定されており、一般に知られている武士の流鏑馬や、他神社等に奉納されるものと異なり、九月一日に斎行される初馬揃式から始まる多数の前儀と共に、奉仕者は一週間に及ぶ「切火」と呼ばれる厳しい潔斎(世間日常を離れ祭祀者としての資格を完成し、心身を清浄にするため籠もること)にその意義と特色がある。
 特に馬の馳せた足跡による吉凶の「馬蹄占」は世襲の「占人」の存在と共にこの神事を著名なものにしており、日本の文化的源流を持つ貴重な祭です。
 
 毎年やぶさめ祭りが終わると、氏子区域各町内それぞれに神職を招き、流鏑馬祭りでの「馬蹄占」の結果を元に「お日待ち・秋葉講」と呼ばれる祭儀を行う。
 町内各家庭は御祈願の後、一枚小さな紙垂を戴き、これからの一年間町内に火事や争い事などの災いが無く無事に過ごせるよう祈願する行事が十一月初旬頃まで続く。(御日待ちとは=燃える火の事ではなく次の朝日、つまり夜を明かし神様に祈り、各班毎に「近所隣り同志で」様々な話をしながら朝日を待つ事です)
 まさに「村の祭り」古き良き「日本の村組織」を今に伝える貴重なお祭りです。
 また、当神社隣接の下吉田第一小学校では、運動会にやぶさめをテーマとしたプログラムがあり、児童が郷土の歴史を一生懸命学んでいます。

九月十八日 宵宮祭
小室浅間神社宵宮祭
馬主に手綱尾鋏の授与や、明日の朝馬夕馬を決定する神籤(みくじ)が引かれる。

九月十八日 宵宮祭
宵宮の風景
多くの参拝者が訪れ賑わう境内。 

九月十八日 宵宮祭 富士山神輿
西裏睦会によって担がれる富士山神輿が境内に帰ってくる頃
宵祭りは最高潮となる。

九月十八日 宵宮祭 富士山神輿
地元の熱意により、半世紀ぶりに復活し担がれることとなった富士山神輿。
部材の大部分に、同神社にあるご神木のケヤキとヤナギを充て、「富士山」には細かく砕いた赤茶色の本物の溶岩を吹き付けて奉製されている。

九月十八日 宵宮祭

宵祭りの風景
富士山火焔太鼓の勇壮な演奏と、
貢優会による神楽殿での津軽三味線奉納。

九月十九日 流鏑馬祭り
奉仕者は神馬の準備に取りかかる。

九月十九日 流鏑馬祭り

例祭流鏑馬祭
本殿での神事、弓取りの儀、出立の杯などが厳粛に執り行われる。

九月十九日 流鏑馬祭り

夕馬一番、騎乗する馬主。(宮下菊夫氏)
御祓いを行う神職に続き神橋を渡り、馬場へ向かう。
神橋は流鏑馬の時のみ架けられ、潔斎を行っている者以外の渡河を厳しく禁じている。

九月十九日 流鏑馬祭り

馬場見せ(早川氏)
午前十時頃より、馬場見せ(ちらし)が行われ
本番の役馬(やぶさめ)の前に、奉仕者達が一週間調練した馬技を披露する。

九月十九日 流鏑馬祭り

朝馬一番やぶさめと、見守る奉仕者。
装束は、この地方に見られる一般庶民の出で立ちであり、武家が行う流鏑馬の華麗な装束と比べ地味で質素なものである。
襦袢、手甲、股引のスタイルがよくわかる。
役馬に乗る者が交代で烏帽子、狩衣を身にまとう。
朝馬・夕馬、それぞれ乗る奉仕者は、宵宮の神籤(みくじ)により厳格に分けられている。

九月十九日 流鏑馬祭り
夕馬一番(宮下氏)
矢は的を直接狙う訳ではなく、空に向けて射り、魔を射り災い除けとしている。

九月十九日 流鏑馬祭り
占人の馬蹄占い
占人は世襲で三家、馬の走った蹄の跡を見て吉凶を占う。

九月十九日 流鏑馬祭り
山王馬、疾走場所へ向かう。
山王馬は矢を射らず、のりばらいと言い、そのまま馬場を駆け上がり富士山に神様がお帰りになる事を表している。
朝馬、夕馬それぞれが山王馬として馬場を駆けると、九月一日より始まった流鏑馬神事は終わりを告げる。


昭和三十三年 馬主、渡辺唯繁氏

 現在では、神社潔斎館にて馬主・奉仕者は流鏑馬までの一週間にわたり「切火」して過ごすわけであるが、以前は馬主の自宅で行われており、家に注連縄を張り、一族知己の中から奉仕者を選び、馬のない者は早くから奉仕馬に適した雄馬を見つけるなど、並々ならぬ準備への配慮が要求された。九月十三日に神職により祓い清められると、家族は馬に乗る者以外と女性は、向こう一週間家をでて親戚等に身を寄せ生活を行った。



戦前の集合写真

 かつては、その氏子達にとって流鏑馬奉仕が一家一門の名誉としてこれを強く願望する意味があった。希望者の多い年は六頭の奉仕馬に三十数頭から六十頭を越える申込頭数の賑わいを見せたと記録に残されている。
 当時は4頭(4家族)の奉仕があった。

撤下品の藤鞭奉製

切り出された藤蔓は境内に運ばれ、適度な大きさに切りそろえ
先端を叩いて、ほぐす作業が行われる。

撤下品の藤鞭奉製

一週間ほど乾かされた藤蔓は、紫色に染められる。
乾かす為に境内に並べられた藤蔓は、地域の人々にとって
秋の訪れを感じさせる風物詩となっている。



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