富士吉田市天然記念物

大塔宮護良親王桂之古跡

大塔宮社・雛鶴社

祭神・大塔宮護良親王、雛鶴姫

御神徳・運気隆昌、良縁成就、夫婦円満

 

後醍醐天皇の皇子「大塔宮護良親王」は出家しており天台宗の門主として、法勝寺九重塔(大塔)に門室を置いていたため「大塔宮」と呼ばれており、後に還俗(僧侶になった者が俗人に戻ること)して鎌倉幕府倒幕に挙兵し、楠木正成と共に活躍。

建武の新政にて征夷大将軍に就任するも、足利尊氏との政争に敗れ失脚、謀反の罪で捕らえられ、鎌倉将軍府に流罪となり、足利尊氏の弟・足利直義に幽閉され、建武二年(西暦一三三五年)土牢の中で討たれ(暗殺され)る。

 

足利直義の家臣淵辺義博によって首を刎ねられたが、あまりに恐ろしい形相をしていたため、首を捨ててしまったと云い、その首を側室雛鶴姫が持って落延びたが道中力尽き、残った忠臣達が下吉田にたどり着き、神木の桂の木の根元に首を葬った事が「建武二年九月二十三日の清和天皇遠孫其の祈請書」と共に仮借して祀る事を望んで奉納された「新羅三郎義光の神像」そして「文禄元年(西暦一五九三年)二月十六日の加藤光泰の下知状」により伝わる。

 

ただ古文書二通の原書は正徳二年(西暦一七一二年)七月七日に甲府藩柳沢家に差し出され、その後失われている。

 

近代まで当神社と境内続きとなっていて関係も深い月江寺は当時、天台宗の寺院だったので、その縁もあり還俗した護良親王を鎮護するため当神社に葬られたものと推測される。

 

毎年、五月一〇日には「桂樹祭」が斎行され、御神木の繁茂と親王の神霊の鎮護を祈願している。

桂の幹に抱かれて鎮座する大塔宮社は、ハートの形の葉と雛鶴姫の愛情で縁結びの御神徳があり。

この桂の葉は御朱印帳などに挟んでおくと良縁が舞込んで来ると云われます。近年ハートのこぶが浮かび上がった神樹と共に、恋愛に限らず様々な良い縁を結んでくれると評判となっている

大塔宮護良親王霊力御守り